子規の月並調批判とは? わかりやすく解説

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子規の月並調批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 09:37 UTC 版)

月並」の記事における「子規の月並調批判」の解説

子規批判的な意味をこめて「月並」の語をはじめて用いたのは、『獺祭書屋俳話』(だっさいしゃおくはいわ)の1892年9月17日記事においてである。ここでは旧派俳人花の本舎(八木芹舎)の句「余の木皆手持無沙汰花盛り」の句の「手持無沙汰」を「尤(もっとも)拙劣な擬人法」として批判しこのようなものは月並句合の句集多く見つかるものとして「余は私に之(これ)を称して月並流といふ」と記している。のちの『俳諧大要』(1899年)では、「天保以後の句は、概ね卑俗陳腐にして見るに堪へず称して月並調といふ」と書きこうした句を賞賛して恥を掻かないようにするためには月並の句も多少知っておく必要がある、としている(「恥を掻かざらんと欲する者は月並調も少しは見るべし」)。天保以後の句とは、具体的に成田蒼虬桜井梅室田川鳳朗などに代表される俳人たちの句である。 『俳句問答』(1899年)では、子規自身たちの進め新し俳風新派)と従来月並俳句との違い解説している。ここで述べられている月並俳句特徴要約すると以下のようになる知識訴え陳腐好み新規を嫌う 言語緊密を嫌う 洋語排斥するなど、狭い範囲言葉用い流派が多い これに対し知識ではなく感情訴えること、陳腐を嫌うこと、言語弛みを嫌うこと、音調調和する限りどんな言葉用いること、流派がないことを新派特徴とした。 『病牀六尺1902年8月2日記事では、この「月並調」という言葉俳句流行とともに世間広まり俳句と関係のない事柄にまで用いられるのを見るようになった、と子規自身書いている。

※この「子規の月並調批判」の解説は、「月並」の解説の一部です。
「子規の月並調批判」を含む「月並」の記事については、「月並」の概要を参照ください。

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