子規の奈良旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/06 01:17 UTC 版)
1895年(明治28年)、日清戦争の従軍記者として中国にあった正岡子規は、帰国の途において喀血し、神戸須磨での療養ののち、松山に帰郷した。松山で親友の夏目漱石より10円を借り、同年10月26日〜29日の4日間、奈良に滞在した。有名な『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』の句もこの奈良滞在中に詠まれたものである。 この奈良旅行中、逗留したのが当時の奈良の老舗旅館であった『對山樓』であり、この宿を詠んだ『秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味』の句を始め、滞在中を綴った随筆なども残している。
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