委員選出の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:10 UTC 版)
当時MISに属していた日系二世のマサジ・マルモト(英語版)中尉の証言によれば、彼は6月20日に来島した際に「避難民収容所を回って指導的地位にあるものを捜索せよ」という命令を受けた。丸本らは6週間かかって150人をリストアップして「石川会議」の代議員とし、最終的に126人の各地区代表者が石川収容所に集められたが、代表者の中には、あらかじめ軍から志喜屋孝信(旧制開南中学校元校長)を委員長に選ぶよう言われた者もいた。また、会議の目的を知らされない者もいた。軍政府のモードック中佐は、仮諮詢会の冒頭で会議の目的を次の3つとした。 諮詢会委員15人を選ぶ 民意代表機関設立の案を示す 軍に対する要望や疑問に回答する また委員の構成について、軍政府は、 農業部、商工部など専門の知識、技能を有する人 各社会階級の代表者を 一部の地域に偏しないよう 日本の軍部、帝国主義者と密接な関係を持つ者は望まない 米国の機嫌のみをとって自己の利益を考えているものを排したい。 誠心誠意沖縄の福祉に対して強硬に率直に述べることのできる方を望む。 と説明した。特に5. の米国の機嫌をとるのを望まないという部分は参加者の印象に残ったという。8月15日中には委員候補24人が選ばれ、8月25日に15人の委員が選ばれた。 しかし、委員の選出は一見民主的であったが、軍政府は沖縄統治にとって都合が悪いと判断した人物、例えば大政翼賛会に関与していた平良辰雄や当間重剛ら、また本土復帰を早くから唱えていた仲吉良光らなどをあらかじめ排除していた。また、前述の通り、志喜屋を委員長に選出するための工作も行われていた。
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