委任統治問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 03:41 UTC 版)
ウィルソンが原則として「無併合」を唱えていたが、ドイツ旧植民地やオスマン帝国領が独立国としてやっていけるとは考えていなかった。「委任統治」はそのために考え出されたシステムであり、国際連盟からの委任を受けた国が、その地域を統治するというものであった。しかしフランスやオーストラリア、ニュージーランドは旧植民地の併合を強く要求した。委員会は紛糾し、裏面での交渉が活発に行われた。 1月30日の十人委員会でロイド・ジョージは八項目からなる決議案を提出した。東アフリカのドイツ植民地は潜水艦基地となったため、ドイツ統治継続は世界平和に有害であるために没収が定められ、旧トルコ領のアルメニア、シリア、メソポタミア、パレスチナ、アラビア半島はトルコの悪政から切り離す必要があるとされた。2月になってこの方針で妥協が成立し、ドイツの植民地全面放棄とシリアのフランス委任統治領化、パレスチナ、イラク、トランスヨルダンのイギリス委任統治領化が決定した。こうしてサイクス・ピコ協定は実質的に承認された。
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