委任統治領時代
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第二次世界大戦中、多くのユダヤ人が連合国軍に志願した。地上部隊は、イギリス陸軍にユダヤ人旅団 (Jewish Brigade) が編成されるなど組織的に第一線に投入され、後に国防軍に合流していったのに対し、海上では海軍の戦闘部隊への勤務はほとんど認められず、ほとんどが商船の乗組みとなったため、後に海軍建軍にあたり障害となった。 そんな中、1940年には、枢軸国の中東方面進出を恐れた特殊作戦執行部により、イギリス委任統治領パレスチナのユダヤ人準軍事組織であるハガナーの中に海上コマンド部隊が編成された。後にハガナーの戦闘部門としてパルマッハが設置されるとこの部隊も合流し、1941年5月に行われたヴィシー・フランス支配下のトリポリへの侵入作戦 (Operation Boatswain) の際に全滅したものの、後のイスラエル海軍コマンドー部隊の系譜の端緒となった。 そして1944年には、パルマッハの海上中隊としてパルヤム (Palyam) が設置され、後のイスラエル海軍の直接的な母体となった。その任務は、イギリス当局の監視の目をかいくぐっての移民(アリーヤー)と武器の密輸であり、大戦終結とともに更に本格化した。また体当たりによる英駆逐艦の撃破や停泊中の英軍艦の爆破など多くの武勇伝を生んだ。
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