イスラエル・ポンド、旧シェケル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 07:18 UTC 版)
「新シェケル」の記事における「イスラエル・ポンド、旧シェケル」の解説
英国委任統治領時代のパレスチナにおける通貨はパレスチナ・ポンドとして発行された。イスラエルという国名がまだなかったため、紙幣にもイスラエルの表記はなかった。しかし、パレスチナ・ポンドは英語とアラビア語とヘブライ語の3か国語で記載され、かつ、ヘブライ語においては「パレスチナ」だけではなく「イスラエルの地」を意味する「エレツ・イスラエル」の略称であるא"יも記載されていた。イスラエル・ポンドは1952年から1980年の間に使用された。 1969年6月4日にイスラエル国会は当時流通していたイスラエル・ポンドからシェケル(複数形シェカリム、記号は)」への移行を決定した。1977年11月に通貨発行の諸条件が整い、翌年5月にシェケルをイスラエル・ポンドと同様の紙幣とする事が決まった。流通を容易にするため、イスラエル・ポンド額面の10分の1をシェケルの額面とした。紙幣印刷においてもイスラエル・ポンドと同じ色、大きさ、肖像画を採用した。 こうした準備は2年以上をかけて秘密裏に行われ、1980年2月にようやくシェケルを法定通貨とすることが宣言された。これがいわゆる旧シェケルである。同時に補助通貨としては新アゴラ(複数形アゴロット)が設定された。同月24日、シェケル紙幣の流通を開始。当初紙幣の額面は1、5、10、50、100シェケル(複数形シェカリム)であった。しかしインフレが進んだため、5年後の1985年までには100、500、1,000、5,000、10,000シェケルの5券種が相次いで発行された。
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