女性車掌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 01:37 UTC 版)
列車乗務員への女性採用は、明治時代においては男尊女卑の風潮の中でなかなか開始されないでいたが、1902年(明治35年)に讃岐鉄道、1906年(明治39年)には南海鉄道でそれぞれ列車給仕(食堂接客員)に女性が採用されるようになり、1903年(明治38年)には鉄道作業局(官営鉄道)でも、比較的業務が簡単な閑散期における新橋駅での乗車券販売に女性が登用された。 美濃電気軌道では、それを一歩推し進めて車掌に初めて女性を登用した。1918年(大正7年)4月18日のことであるが、第一次世界大戦の影響で好景気となり、乗務員が集まらなくなったことが導入の契機であった。当初は昼間時間帯のみの乗務であったが、後には始発から終電までのほぼ全時間帯で勤務させるようにした。 国鉄(管轄は、内閣鉄道院→鉄道省→運輸通信省→運輸省→日本国有鉄道と変遷)の運営する省線電車(国電)で女性車掌が登場したのは、太平洋戦争下で多くの男子職員が兵に取られて人員不足となった1944年(昭和19年)のことであり、美濃電での登用は先進的な試みであった。
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