女性車掌の採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:25 UTC 版)
日本で初めて乗合自動車の車掌に女性を採用したのは東京市街自動車であった。当時、梁瀬自動車に勤務していた田中常三郎は「青バスの堀内良平さんから、女の車掌を採用しようと思うがどうか、服装をどうしたらよいか、などの相談をうけました」と回顧している。また1919年(大正9年)12月に、新聞広告で「乗合自動車婦人車掌募集」が掲載されている。 営業当初は、少年車掌を乗務させていた。しかし、少年車掌は乗客から徴収した運賃の隠匿が多く、女性車掌の採用がアイデアとしてでた。反対する役員もあったが、実行したところ評判が良かった。 東京乗合自動車の女性車掌は、三越の白襟の洋服にベレー帽という制服であった。このため「白襟嬢」と愛称された。これに対抗して、1924年(大正13年)より東京市電気局の運営する市営バスも女性車掌を採用し、こちらは「赤襟嬢」と愛称された。
※この「女性車掌の採用」の解説は、「東京乗合自動車」の解説の一部です。
「女性車掌の採用」を含む「東京乗合自動車」の記事については、「東京乗合自動車」の概要を参照ください。
- 女性車掌の採用のページへのリンク