奇術を楽しむ集い
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1982年(昭和57年)から毎年5月後半に河口湖の民宿「諏訪路」の大広間で『奇術を楽しむ集い』を主催した。「マジックの愛好者と一晩中マジックを語り明かしたい」と考えた布目が、在京のマジッククラブに呼びかけて始まった集いで、各クラブから出てきた演者がコンテストで競った。集まったご祝儀袋がステージ後ろの壁に張り出されて賞金の一部となった。若き日の藤山新太郎やケン正木、幸条スガヤらの飛び入り参加もあった。また「諏訪路価格」と呼ばれた破格の安さで、手品道具の販売が品物がなくなるまで行われて人気を集めた。通販制度が発達していない時代には限られた機会だった。 大会で舞台の幕のセッティング中に腰を傷め、また腹部大動脈の手術を受けた影響もあり、1998年、水道橋のショップを閉じたあとは、近隣のクラブや訪れるファンに個人レッスンをしていた。2000年3月、散歩中に踏切で転倒して歩けなくなり活動を縮小、2005年(平成17年)12月14日死去。享年91。 布目が体調を崩した後、彼を慕う有志が「貫門会」を立ち上げ、全国60を超えるクラブが登録され、「奇術を楽しむ集い」は石和温泉に場所を移して今も続いている。
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