夫・荒太郎との短い日々
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1924年(大正13年)2月25日、夫の荒太郎とともに松竹キネマに入社、下加茂撮影所に所属する。同撮影所はヘンリー小谷も同時期に招き、荒太郎・愛子夫妻をキャスティングして『黒法師』(監督ヘンリー小谷)を製作、同年4月23日に公開したが、単純な活劇と評価され、興行的には振るわなかった。以降、多くの作品で夫と共演し、『樽屋おせん』(監督枝正義郎)、『おくみと法界坊』(監督賀古残夢)では夫とともに主演、『権八と小紫』『累の恋』(ともに監督枝正義郎)では實川延松を相手に主演したが、同年7月、松竹蒲田撮影所から所長の野村芳亭らが現れ、下加茂の改革を行った。同年8月1日に公開された清水宏の監督デビュー作『峠の彼方』では、蒲田撮影所に呼ばれて単独で出演、押本映治の相手役として主演している。愛子は同年末、夫・荒太郎とともに同社を退社した。『裸にした映画女優』によれば、夫・荒太郎は「愛妻の愛子と離れては絶対に芝居が出來ない」と発言していたといい、夫の溺愛のほどが知れる。 松竹下加茂退社の1年後にあたり満26歳であった1925年(大正14年)12月5日、夫の荒太郎と死別する(満33歳没)。1927年(昭和2年)、直木三十五らが設立した聯合映画芸術家協会に参加、同年5月6日に公開された『新珠』(監督鈴木謙作)、同じく7月8日(7月1日)に公開された『炎の空』(監督鈴木謙作)に出演したが、同2作をもって映画界を去り、新派の梅島昇らと人情劇を結成して舞台に専念した。同年発行の『劇と映画』誌に『谷村計介』での松浪義雄との共演、『貞操』での梅島との共演についての記事がそれぞれ掲載されている(3月号、11月号)。
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