夫・朝原宣治について
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1991年4月に奥野が同志社大へ入学して間もない頃、在学中からゼミの同期生でも有った現在の夫・朝原宣治と偶然隣同士で初対面してから、その後長らく交際していた。また、一時は同大学の大学院にも在籍していた。2002年に朝原と結婚。当時朝原は陸上競技・現役選手として、奥野が暮らすアメリカに留学していた。 2003年4月には第一子となる女児を、2006年7月には第二子となる男児を出産している。2008年(平成20年)の北京オリンピック陸上男子400mリレー走決勝には、朝原が日本代表チームのアンカーとして出場。日本代表は当時3着(のち2位へ繰り上げ)でゴールに到達したため、夫婦揃ってオリンピックのメダリストになった。奥野は長女とともに、北京の会場で決勝のレースを観戦。朝原のメダル獲得が確定した瞬間は、手が震えて涙が止まらなかったという。 北京オリンピック閉幕後の2008年11月22日の「いい夫婦の日」には、関西地方出身者同士のオリンピック・メダリスト夫婦として、「パートナー・オブ・ザ・イヤー2008」の表彰を受けた。 2011年7月に第三子となる女児を出産した。
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