夫・高橋宮二のもとでの実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:07 UTC 版)
「高橋貞子 (超能力被験者)」の記事における「夫・高橋宮二のもとでの実験」の解説
貞子の夫・高橋宮二は超心理学の専門家ではなかったが、独自に精神修養のための呼吸法を研究しており、貞子も彼に倣ってこれを実践しているうちに、精神統一の方法を学んだ。宮二はこれを通じ、貞子に霊的能力があると感じたという。 宮二が貞子の能力に気づいたのは、奇しくも長尾郁子の初の念写実験が行われた1910年(明治43年)11月12日とされ、夫妻は当時、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現・東京都渋谷区千駄ヶ谷)で生活していた。福来の著書『透視と念写』によれば同日、貞子は宮二に、自分の手にした火箸がひとりでに火鉢の上を動いて「清」の字を記したと告げた。宮二はウィジャボードを試したところ、「貞子は清原千鶴子(御船千鶴子のこと、清原は千鶴子の義兄の姓)のように千里先を見通す」と出た。これにより宮二は貞子に透視実験の提案をした。同月より、字を書いた紙や物を箱に入れて透視するという方法で、20回以上にわたって実験が行われた。この経緯は福来の『透視と念写』にまとめられており、貞子はことごとく透視を成功させたとある。
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