太田プロからの独立
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2019年4月27日、長唄の師匠・杵屋勝之弥とともに歌舞伎座の舞台に立ち、長唄杵勝会の名取として「杵屋勝之邦」の名を襲名した。長唄以外の活動については以前同様、山田邦子の名義で行う。同月29日、自身のブログに「39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした」と記し、名取の襲名披露公演に太田プロダクション関係者が誰も来訪していなかったことを明かした。 同年5月に発売された一部週刊誌では、太田プロダクションとの関係が悪化し、事務所からの独立を検討していると報じられる。一時は事務所残留への前向きな姿勢も見せていたが、6月30日をもって長らく所属していた太田プロダクションとのマネージメント契約を終了した。フリーランスの期間を経て、2020年1月20日、スポーツ選手のマネジメントを専門とするアスリート・マーケティングに所属したことを発表した。 デビュー当時に親交のあった桂竹丸の誘いを受け、2019年5月以降、落語芸術協会の寄席に色物(漫談)として出演するようになる。2020年8月にはデビュー40年目にして初めて浅草演芸ホールの高座に上がり、2021年2月から3月にかけてはかつて『日曜バラエティー』で共演していた桂宮治の真打昇進襲名披露興行にゲスト出演し、口上を述べた。
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