太枡騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/27 08:24 UTC 版)
太枡騒動(ふとますそうどう)は、江戸時代後期の百姓一揆。1792年(寛政4年)に発生し、御三卿領の田安徳川家領における新規仕法に対して起こった代表越訴型一揆。
- ^ 田安領をはじめとする甲斐国の御三卿領については『山梨県史』通史編3近世1。
- ^ a b 飯田 1980
- ^ 通称は「日記」、『山梨市史』資料編所載
- ^ 裁許文言によれば、陣屋元の一町田中村をはじめ山梨郡西小屋敷村(山梨市)、八代郡の門前村(笛吹市)、九一色郷の中山村、高萩村、三帳村(以上の諸村は西八代郡市川三郷町)、鶯宿村(笛吹市)の7か村が当初から越訴に不参加であったことが記されている。また、飯田文彌は出府中の同行が不明な小松村・寺本村(笛吹市)の2か村を加えた9か村が惣代を選出していない点を指摘している。
- ^ 山梨県立博物館寄託甲州文庫「田安御領地村々願書済口写」『山梨県史』資料編10近世3在方1。
- ^ 「訴訟一件日記留帳」『県資』10 - 369
- ^ 飯田『太枡騒動』、p.79、弦間(2007)、pp.418 - 419
- ^ 竹川「山梨農民騒動史4-太枡事件-」『甲斐史学 13号』
- ^ 太枡騒動に関する研究史のまとめは飯田文献のほか、篠原誠「米倉騒動と太枡騒動」『山梨郷土史研究入門』(1992年)がある。
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