新本義民騒動
新本義民騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 14:27 UTC 版)
詳細は「新本義民騒動」を参照 享保3年(1718年)、第5代藩主・長救の時代に領民による一揆が起こった。後に新本義民騒動(しんぽんぎみんそうどう)と呼ばれるようになった。 藩領内の新庄村と本庄村(現・総社市新本)に跨る大平山と春山は領民の入会地であった。藩はこれを「お留山」と称する藩の公地とし、領民の立ち入りを禁じ、更に樹木伐採とそれを薪として陣屋まで運ばせる賦役を課した。これに反対した領民は代表4人を江戸に送り藩主に直訴し、お留山と賦役は、無事解消された。しかし、直訴した4人は処刑され、その家族・騒動の加担者は領内から追放された。現在、新本には義民碑が建っている。
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