天草市立瀬戸小学校
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天草市立瀬戸小学校 | |
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2015年(平成27年)撮影 |
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北緯32度26分43秒 東経130度12分25秒 / 北緯32.445222度 東経130.207度座標: 北緯32度26分43秒 東経130度12分25秒 / 北緯32.445222度 東経130.207度 | |
過去の名称 | 本渡市立瀬戸小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 天草市 |
校訓 | 自主・勤労・博愛 |
設立年月日 | 1973年(昭和48年)4月1日 |
閉校年月日 | 2018年(平成30年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒863-0041 熊本県天草市志柿町6348番地 |
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天草市立瀬戸小学校(あまくさしりつ せどしょうがっこう)は、かつて熊本県天草市志柿町にあった公立の小学校。
2018年(平成30年)3月末に閉校し、天草市立志柿小学校とともに、「天草市立本渡東小学校」に統合された。
概要
- 歴史
- 1973年(昭和48年)に本渡市立亀場小学校から分離する形で新設された。2018年(平成30年)に閉校し、45年の歴史に幕を下ろした。
- 校訓
- 「自主・勤労・博愛」
- 校章
- 3本のペン先、校名のイニシャルである「S」の文字を3つ並べて背景とし、中央に「小」の文字を配している。
- 校歌
- 作詞は前田徹彦、作曲は小田原満による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「瀬戸小」が登場する。
- 通学区域
- 天草市のうち「志柿町(一部)、瀬戸町」。中学校区は以下の通りであった。
沿革
- 前史
- 1875年(明治8年) -「公立志柿小学校 瀬戸分教場」が設置される。
- 1886年(明治19年)-「志柿小学簡易科教場 瀬戸分教場」に改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、天草郡「志柿村」が発足。
- 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上「尋常志柿小学校 瀬戸分教場」に改称。
- 1892年(明治25年)4月 -「志柿尋常小学校 瀬戸分教場」に改称。
- 1926年(大正15年)3月15日 - 高等科(2年制)を併置の上、「志柿尋常高等小学校 瀬戸分教場」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「天草郡志柿村志柿国民学校 瀬戸分教場」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「志柿村立志柿小学校 瀬戸分校」に改組・改称。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 1町7村の合併により「本渡市」が発足。「本渡市立志柿小学校 瀬戸分校」に改称。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 本渡市立亀場小学校に統合される。
- 正史
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 本渡市立亀場小学校から分離の上、「本渡市立瀬戸小学校」として独立。
- 1974年(昭和49年)
- この年 - 新校舎が完成。
- 5月 - 天草瀬戸大橋が完成。
- 1977年(昭和52年)- プールが完成。
- 1983年(昭和58年)- 体育館が完成。運動場を造成。
- 1990年(平成2年)4月1日 - 本渡市立亀川中学校の志柿町地区が、新設の本渡市立本渡東中学校に統合される。
- 2006年(平成18年)3月27日 - 2市8町の合併により「天草市」が発足。「天草市立瀬戸小学校」(最終名)と改称。
- 2018年(平成30年)3月31日 - 天草市立本渡東小学校への統合により閉校。
- 跡地の活用
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正門
(2024年) -
校舎
(2024年) -
校舎
(2024年) -
体育館
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開校記念碑・閉校記念碑
交通アクセス
- 最寄りのバス停留所
- 九州産交バス「瀬戸(天草)」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 志柿町公民館瀬戸分館
- 志柿町瀬戸地区コミュニティセンター
- 本渡瀬戸歩道橋
- 天草瀬戸大橋
- 熊本県立天草工業高等学校
- 本渡瀬戸
脚注
- ^ 天草市立天草アーカイブズの移転開館について - 国立公文書館ウェブサイト
参考文献
- 「瀬戸小学校」- 東京天草郷友会ウェブサイト
- 「ありがとう。わが母校」(市政だより天草 2018年(平成30年)3月1日 275号)p.10 瀬戸小学校 - 天草市ウェブサイト
- 「瀬戸小学校 天草下島の玄関口天草瀬戸大橋最寄りの学校」
関連項目
固有名詞の分類
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