天草市立深海小学校
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天草市立深海小学校 | |
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北緯32度15分15秒 東経130度05分26秒 / 北緯32.254083度 東経130.090611度座標: 北緯32度15分15秒 東経130度05分26秒 / 北緯32.254083度 東経130.090611度 | |
過去の名称 |
深海小学校 深海村尋常高等小学校 深海国民学校 深海村立深海小学校 牛深市立深海小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 天草市 |
併合学校 | 天草市立浅海小学校 |
校訓 | 誠実 |
設立年月日 | 1874年 |
閉校年月日 | 2017年 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 |
下平分校(1895年 - 2000年) 浅海分校(1895年 - 1966年) |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒863-1511 |
熊本県天草市深海町4462番地3 | |
外部リンク | 公式サイト |
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天草市立深海小学校(あまくさしりつ ふかみしょうがっこう)は、かつて熊本県天草市深海町に存在した小学校。2017年に閉校した。
沿革
- 1874年(明治7年) - 橋口正直宅を借りて深海小学校を開く。
- 1877年(明治10年) - 原田元貞宅へ移転。
- 1892年(明治25年) - 尋常科制実施。
- 1895年(明治28年) - 浅海分校、下平分校設置。
- 1903年(明治36年) - 深海尋常高等小学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 深海国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 深海村立深海小学校と改称。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 牛深市立深海小学校と改称。
- 1958年(昭和33年)深海小学校の校歌が作られた。作詞は当時の校長 池永時夫[1]、作曲は元ジャズピアニストでCM作曲家の小倉靖[2]。
- 1966年(昭和41年) - 浅海分校が独立し、浅海小学校となる。
- 1974年(昭和49年) - 創立百周年記念碑建立。
- 1978年(昭和53年) - 下平分校休校。
- 1979年(昭和54年) - 下平分校開校。
- 1980年(昭和55年) - 校庭の楠が市の指定文化財(天然記念物)となる。[3]

- 2000年(平成12年) - 下平分校廃止。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)4月1日 - 元深海中学校へ校舎移転。
- 2012年(平成24年)2月 - 旧深海小学校校舎解体。[4][5]

旧校舎
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深海小学校(旧校舎)(撮影日:2008-10-25)
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深海小学校(旧校舎)および楠(撮影日:2008-10-25)
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深海小学校(旧校舎)東側から(撮影日:2008-10-25)
脚注
出典
- ^ a b 平成28年8月9日、深海地区振興会、深海町区長会、PTA役員(学校職員含む)が集まり、「深海小学校閉校記念事業実行委員会」を発足。その事業の一環として平成29年3月に『深海小学校閉校記念誌』を刊行。記念誌の中の「卒業生の想い出」の昭和34年度卒業生の記事に、5年生当時の校長が作成した旨の記載がある。
- ^ 各種資料に深海小学校校歌の作曲者名が小倉靖と記載されている。その人物と元ジャズピアニストでCM作曲家の小倉靖が同一人物であることを示す客観的な資料はないものの、校歌が作成された年代とCM作曲家の小倉靖が活躍した年代が重なることから同一人物であることが強く類推される。
- ^ 天草市指定文化財(天然記念物)楠
- ^ 天草Webの駅 深海地区振興会 深海の歴史年表 P8
- ^ 株式会社 成和開発 解体工事ページに深海小学校の旧校舎のRC造建物解体作業状況の写真が掲載されている。
- ^ 市政だより天草 平成29年3月No.262 P2.3
- ^ 天草インターネットビデオ局 2017年 深海小学校「閉校式」
関連項目
学校周辺
- 熊本県道288号深海線
- 深海湾
外部リンク
- 天草市立深海小学校 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- 天草市立牛深東小学校
固有名詞の分類
- 天草市立深海小学校のページへのリンク