天皇の京大来学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:55 UTC 版)
天皇の来学に先立ち、京大吉田(本部)キャンパスでは、2,000人に上る学生・教職員などが正門近くの本部(時計台)前広場(画像参照)に見物(あるいは歓迎)に押しかけ、吉田分校(現在の総合人間学部キャンパス)の門前には縦3m・横2mに及ぶ「天皇へのお願い」と題された看板(冒頭の画像参照)が立てられた。学生の多くは、予定されていた大学文化祭が延期されたことや警察の過重な警備への不満や、単に天皇を見たい不満という野次馬的気分から広場に集まってきたとされる。しかし、この時、正門外で突然毎日新聞社の車が「君が代」を流したため、これに対抗するように、学生の中から反戦歌「平和を守れ」の歌声が流れ、次第に大合唱となった。 騒然とした雰囲気の中、午後1時20分天皇は自動車に乗って到着し、進講のため本部の会議室に入った。進講者の一人であった瀧川幸辰によれば、この時天皇制廃止を記したプラカードを掲げた学生たちが正面玄関に殺到する行動があったという。反戦歌の合唱は天皇が建物の中にいる最中ずっと続けられた。大学当局は大学から出ていく天皇のために進路を確保するべく警官隊を学内に導入、天皇は警官隊の人垣を通って午後2時過ぎに京大を去った。この間、学生たちは天皇一行の出入りを遠巻きに合唱していただけで、特にこれを妨害せず、学生と警官隊との衝突はなかった。被害といえば植込みの松に学生が鈴なりになって見物したため、倒れてしまった程度だった。
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