天安門事件(てんあんもんじけん)
1989年5月ころ、「自由化・民主化」を求める学生や市民が中国全土から北京に集まり、天安門広場を占拠した。普通選挙や表現の自由を求める市民らは、中国政府側との対話を要求し、座り込み運動を続けた。
これに対し、中国当局は同年5月20日に戒厳令を施行し、また6月4日には軍隊を投入した。中国解放軍は戦車や装甲車を使って広場に進駐しようとしたが、これを防ごうとする市民らとの間で、市内各地で衝突した。
抵抗する市民に対しては催涙ガスや実弾が発砲され、双方に多数の死傷者が出た。この際の死者の数についてははっきりとは分かっていないが、西側人権団体の推定では2,000人余りとされている。
事件後、中国当局は自白や密告を募り、事件首謀者を追及した。結果、学生や市民が多数逮捕され、破壊行為を理由とする処刑も行われた。
(2000.05.02更新)
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