天下巡遊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:46 UTC 版)
中国を統一した翌年の紀元前220年に始皇帝は天下巡遊を始めた。最初に訪れた隴西(甘粛省東南・旧隴西郡)と北地(甘粛省慶陽市寧県・旧北地郡)は いずれも秦にとって重要な土地であり、これは祖霊に統一事業の報告という側面があったと考えられる。 しかし始皇28年(前219年)以降4度行われた巡遊は、皇帝の権威を誇示し、各地域の視察および祭祀の実施などを目的とした距離も期間も長いものとなった。これは『書経』「虞書・舜典」にある舜が各地を巡遊した故事 に倣ったものとも考えられる。始皇帝が通行するために、幅が50歩(67.5m)あり、中央には松の木で仕切られた皇帝専用の通路を持つ「馳道」が整備された。 順路は以下の通りである。 始皇28年(前219年、第1回):咸陽‐嶧山(山東省鄒城市)‐泰山(山東省泰安市)‐黄(山東省竜口市)‐腄(山東省煙台市福山区)‐成山(山東省栄成市)‐之罘(山東省煙台市芝罘区)‐瑯琊(山東省青島市黄島区)‐彭城(江蘇省徐州市)‐衡山(湖南省湘潭市)‐南郡(湖北省南部)‐湘山祠(湖南省岳陽市君山区)‐武関(陝西省丹鳳県)‐咸陽 29年:咸陽‐陽武(河南省新郷市原陽県)‐之罘‐瑯琊‐上党(山西省長治市)‐咸陽 始皇32年(前215年、第3回):咸陽‐碣石(河北省秦皇島市昌黎県)‐上郡(陝西省北部)‐咸陽 始皇37年(前210年、第4回):咸陽‐雲夢(湖北省雲夢県)‐海渚(安徽省安慶市迎江区)‐丹陽(江蘇省南京市)‐銭唐(浙江省杭州市)‐会稽(浙江省紹興市)‐呉(江蘇省蘇州市)‐瑯琊‐成山‐之罘‐平原津(山東省徳州市平原県)‐沙丘(河北省邢台市広宗県) これら巡遊の証明はもっぱら『史記』の記述のみに頼っていた。しかし、1975-76年に湖北省孝感市雲夢県の戦国‐秦代の古墳から発掘された睡虎地秦簡の『編年紀』と名づけられた竹簡の「今二十八年」条の部分から「今過安陸」という文が見つかった。「今」とは今皇帝すなわち始皇帝を指し、「二十八年」は始皇28年である紀元前219年の出来事が書かれた部分となる。「今過安陸」は始皇帝が安陸(湖北省南部の地名)を通過したことを記録している。短い文章ではあるが、これは同時期に記録された巡遊を証明する貴重な資料である。
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