大阪薬学専門学校時代
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「大阪薬学専門学校 (旧制)」の記事における「大阪薬学専門学校時代」の解説
1917年3月10日: 専門学校令により私立大阪薬学専門学校設立認可。 1917年4月: 開校。 1920年7月: 大阪薬学専門学校と改称。 1931年10月: 豊能郡桜井谷村大字刀根山 (現 大阪府豊中市) に移転。 学制改革で新制大学へ移行するに当たっては、三つの案が存在した: (1) 大阪大学との合併案、(2) 帝国女子薬学専門学校 (現大阪薬科大学) との合併案、(3) 単独昇格案。大阪薬専は過去にも官立移管を企てたことが 2度あり、学校当局は (1) を選択した。大阪大学の薬学部設置意向を受け、統合に向けた顔合わせを1947年7月に開始している。しかし、教授会・生徒らは大阪大学との合併には反対で、大阪大学側にも薬学科新設による既存学科への皺寄せを懸念する声があった。校内紛糾の中、1948年7月の新制大学設置申請に当たっては、辛うじて単独での大学設置を申請した。1948年末、文部政務次官 左藤義詮の斡旋により、大学昇格問題は大阪大学と合併する方向で決着した。 1949年5月: 「財団法人 大阪薬学専門学校」 を解散、財産一切を国に寄付。新制大阪大学医学部薬学科発足、旧制大阪薬専は大阪大学附属薬学専門部として吸収された。 大阪薬専の教官は大阪大学に異動、在校生は附属薬学専門部の所属となった。 1951年3月: 大阪大学附属薬学専門部、廃止。
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