大阪花街の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:35 UTC 版)
京都や東京の花街と比較すると、大阪の花街は「芸妓」本位の花街(遊廓)と「娼妓」本位の遊廓との共存割合が高く、しかも後発の花街(松島・飛田など)ほど娼妓本位の傾向にあった。江戸から明治、大正、昭和初期にかけて芸妓、娼妓が置屋(妓楼、関西では「屋形」と呼ぶ)からお茶屋、貸席(貸座敷)へ出向く「送り込み」と、直接商売する「居稼」(てらし)という制度が存在していた。しかし、近代における花街の制度の変化に伴い芸妓、娼妓が分離し芸妓のみの花街と娼妓のみの遊廓が生まれてくるようになった。
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