大阪編「我孫子」パート(1946年 - 1948年)
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雉真家から逃れ大阪にやって来た安子とるいは、かつて稔が住んでいた「おぐら荘」の大家を頼り、物置を借りておはぎを販売しようと考えるが、当時はまだ小豆の入手が困難だったため、芋飴を作って行商を始める。最初は上手く行かず途方に暮れる中、前を通り掛かった民家から流れる「英語会話」(カムカム英語)を耳にし、立ち聴きするようになる。ある日その家の住人小川澄子に声をかけられ、立ち去ろうとした矢先に過労で倒れた安子は、澄子に介抱され、お礼にと澄子の息子・敏夫のセーターを繕う。安子の現状を知った澄子は小川家で生活するよう安子に提案するとともに繕い物の仕事を紹介する。そして繕い仕事のおまけに付けた芋飴は評判となり、やがて芋飴とおはぎの注文販売で自活できるようになった安子はラジオを購入し、るいと二人でカムカム英語を聴く暮らしの幸せを噛みしめる。そんな中突然千吉が現れ、るいの養育環境を心配し雉真家に戻るよう求めるも、安子は拒否する。仙吉の言葉に悩みながらも、るいを連れて自転車でおはぎを配達に行く安子は、前方の角を曲がって来たオート三輪に気付くのが遅れて交通事故に遭う。安子は左腕を骨折、るいは額に深い傷を負う。その後やって来た勇に諭され、やむなく岡山に戻る。
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