大阪市立十三小学校とは? わかりやすく解説

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大阪市立十三小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 14:53 UTC 版)

大阪市立十三小学校
北緯34度43分24.3秒 東経135度29分9.2秒 / 北緯34.723417度 東経135.485889度 / 34.723417; 135.485889座標: 北緯34度43分24.3秒 東経135度29分9.2秒 / 北緯34.723417度 東経135.485889度 / 34.723417; 135.485889
過去の名称 西成郡神津尋常高等小学校小島分校
大阪市神津尋常小学校小島分校
大阪市十三尋常小学校
大阪市十三国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
校訓 強く、正しく、朗らかに
設立年月日 1922年7月5日
創立記念日 12月1日
創立者 西成郡神津町
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B127210001099
所在地 532-0032
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪市立十三小学校(おおさかしりつ じゅうそうしょうがっこう)は、大阪府大阪市淀川区にある公立小学校阪急電鉄十三駅の東側を校区とする。

1922年に神津尋常高等小学校(現在の大阪市立神津小学校)の分校として発足し、1926年に独立校となった。その後児童数の増加により大阪市木川尋常小学校(現在の大阪市立木川小学校)を分離している。2000年代時点では、1学年1学級の小規模校となっている。

沿革

学校所在地周辺は大正時代まで西成郡神津町に属していた。神津町では、大阪市街地の北部に近接する地理条件であったことに加え、十三駅の開業などにより人口が増加し、住宅地へと変化していった。

そのため神津町大字小島(現在地)に1922年7月5日、西成郡神津尋常高等小学校小島分校を設置した。この時に設置された小島分校が、現在の十三小学校の前身となっている。

神津町は1925年に大阪市に編入された。神津町大字小島は東淀川区十三東之町へ改称した(1974年淀川区十三東となる)が、引き続き小島分校と称した。編入後の1926年12月に小島分校が独立し、大阪市十三尋常小学校として開校した。さらに児童数が増加したため、1936年11月1日付で木川を校区から分離し、大阪市木川尋常小学校(現在の大阪市立木川小学校)が独立している。

1941年には国民学校令により、大阪市十三国民学校に改称した。

太平洋戦争の戦局悪化により、大阪市の国民学校では1944年以降学童疎開が実施されることになった。学童集団疎開は各行政区ごとに疎開先の府県が指定された。東淀川区(現淀川区の区域含む)の小学校では大阪府北摂方面が疎開先として割り当てられ、十三国民学校では大阪府豊能郡南豊島村中豊島村(いずれも現在の豊中市曽根服部付近)に集団疎開を実施した。学童疎開は終戦後の1945年10月まで続いた。

1947年の学制改革により、大阪市立十三小学校となった。2009年末には新校舎が完成し、2010年1月より使用を開始している。

年表

通学区域

  • 大阪市淀川区 十三東1丁目~5丁目。
卒業生は大阪市立十三中学校に進学する。

交通

  • 阪急電鉄十三駅(東口)から、 徒歩約700m強・約11分(最短ルート移動した場合)。

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