大通としての逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/05 20:08 UTC 版)
自ら通人の筆頭をもって任じる暁雨は、芝居の『助六』そっくりの風態をして吉原に遊び悦に入っていた。 黒小袖小口の紋付を着流し、鮫鞘の一腰に印籠1つ、下駄を履いて吉原大門を入ると、仲之町両側の茶屋の女房が出てきて、暁翁の着る小袖の大黒の紋を見れば、「そりやこそ福神様の御出」と、わやわや騒いだ故、いつしかこの姿を「今助六」というようになったという。 暁雨が吉原通いの際に着た大黒紋を色さしにした紋付は、二代目市川團十郎が助六をつとめたとき、杏葉牡丹を色さしにしたのを真似たのである。 70歳を越えた二代目團十郎が中村座で3度目の助六(『男文字曽我物語』)を一世一代としてつとめたとき、下桟敷の西半分は大口屋暁翁が、東半分は小田原町の魚問屋で同じく十八大通のひとり・鯉屋恋藤が買い取った。 怪力で有名で、年齢を重ねた後も着ていた小袖に米糠がかかったことに怒って米を搗いていた男の首筋を掴んで臼に押し込み杵で打ち殺そうとしたこと、蔵前町内で喧嘩をして暴れていた鳶職の男を手先を取ってねじ上げ簡単にねじ伏せてしまったことなど、数々の逸話が残っている。
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