大西洋横断飛行の給油拠点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 01:06 UTC 版)
「ガンダー国際空港」の記事における「大西洋横断飛行の給油拠点」の解説
ニューファンドランド自治領がカナダ連邦に併合後、カナダ連邦政府は「ガンダー空港」(Gander Airport)と改称した。滑走路やターミナルに改良が加えられ、ほぼ現在のレイアウトになった。 アメリカ合衆国東海岸の大都市からロンドンやパリに向かう大圏コース上に位置することから、給油拠点としての重要性が増し、1950年代から1960年代に拡張された。 この空港は1940年代のダグラスDC-4などのレシプロエンジン航空機が、無給油大西洋横断飛行で欧州に到達出来る距離にあり、戦後も同様にボーイング707などのジェット機の給油拠点となった。結果的に、ガンダー空港は初期のジェット機の給油拠点としての重要性を維持し、トランス・カナダ航空(現エア・カナダ)や英国海外航空、パンアメリカン航空などがガンダー空港を主要給油拠点として利用した。 1960年代のジェット機飛行距離延長により給油拠点の必要性が下がり、エルアル航空の広告の様に「ノーグース、ノーガンダー」と呼ばれるように多くの航空会社が新型機の導入をすすめ利用便数も減少した。しかしガンダーはその後も北大西洋上の重要管制基地の一つとして機能した。欧州と北米を結ぶ航空機はすべてガンダーの航空交通管制と通信する必要がある。 冷戦時代には、ソビエト連邦のピアニストイゴーリ・イワノフ、ナパーム弾空襲を受けた村からに逃げる写真で有名になったベトナム人女性ファン・ティー・キム・フックなど、旧ワルシャワ条約機構国から多くの亡命があった地点としても知られる。東欧諸国やソビエト連邦からキューバへの便が給油する地点だったためである。
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