大脱走について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 21:18 UTC 版)
「ソビボル強制収容所」の記事における「大脱走について」の解説
1943年10月14日の大脱走は二人の囚人、レオン・フェルトヘンドラー(ユダヤ系ポーランド人)とアレクサンドル・ペチェルスキー(通称サーシャ。ユダヤ系のソ連赤軍将校。ドイツ軍の戦争捕虜であったが、ユダヤ系と判明したため軍の捕虜収容所からSSの強制収容所へ移された)が主導して行った脱走であった。10月14日に決行日が定められたのは所長であるフランツ・ライヒライトナー親衛隊大尉とその片腕グスタフ・ワグナー親衛隊曹長のいない日であったためだった。 フェルトヘンドラーとペチェルスキーは脱走しやすくするために頭となる親衛隊員たちの殺害を計画した。10月14日午後4時から午後5時にかけて5人の囚人たちが看守をうまく一人ずつバラックなどに誘導してそこで殺害していった。副所長のヨハン・ニーマン親衛隊少尉、ウクライナ兵を指揮したジークフリート・グライシュッツ親衛隊曹長、囚人の金目の品の没収の任にあたっていたルドルフ・ベックマン親衛隊曹長、事務所勤務のヨゼフ・ヴォルフ親衛隊軍曹など11名の看守を殺害することに成功した。また武器庫や殺害した看守から銃を奪っていった。夕方5時に定時の点呼で集まった第一収容区囚人たちに向けてペチェルスキーが大脱走を求める演説を行い、600人の人々が脱走を図った。脱走に気づいた親衛隊員とウクライナ兵はただちに囚人たちに銃撃を浴びせたが、逆に銃を持った囚人たちの反撃を受けて次々と撃ち殺された。しかし囚人たちも看守の銃撃や周囲の地雷原などにより次々と死亡し、600人のうち300人が脱走に失敗した。残り300人ほどが無事に森まで逃げ込むことに成功するが、このうち捕まることなく戦争を生き延びることができたものはわずかに50名から70名程度だったという。この脱走劇を脚色したものが上記の映画である。 なお囚人たちから最も悪質な看守として恐れられていたグスタフ・ワグナー(映画でも最大の悪役として登場している人物)は、ナチス国家の崩壊後、どこの国とも犯罪人引渡条約を結ばないブラジルへ逃げこんだため、処罰からは逃げおおせている。しかし1980年10月に謎めいた自殺をしている。
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