大脱走と山盛りのイカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:58 UTC 版)
元弘の乱で隠岐国に幽閉された後醍醐天皇は、富士名雅清の手引で船を盗み出し、腹心千種忠顕と共に隠岐を脱出した。脱走に気付いた隠岐国守護佐々木清高は千艘の大船団を率い、後醍醐天皇を追跡。船頭がこれに恐怖して逃げようとすると、後醍醐天皇は「汝恐るる事なかれ。急漕向て釣をたるべし(急いで清高の船に向かって漕ぎ、その側で釣り糸を垂れよ)」と、逆にあえて追手に接近せよという詔勅を船頭に発した。さらに、自らを古代中国の聖君周文王に、船頭を釣り人から軍師に抜擢された文王の賢臣太公望になぞらえて、船頭を元気付けた。近づいてきた船頭に対し、清高が「怪しい船が通りかからなかったか」と聞くと、船頭は「今朝方、出雲に向かった船を見ました。順風なので、もう渡海したころでしょう」と嘘をついた。清高軍は船頭を疑って船を点検したが、後醍醐天皇の姿が全く見えないので、納得してそのまま出雲に向かった。なんと、後醍醐天皇は山盛りのイカで自分の身を覆い、隠れていたのである。天皇である後醍醐が、自身の「玉体」(天子の肉体を聖化して言う言葉)をイカに隠すような真似をする訳がない、という固定観念を逆手にとって、絶海の孤島からの脱出劇を成功させたのだった(以上、『梅松論』上)。
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