大相撲・阿佐ケ谷勢とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大相撲・阿佐ケ谷勢の意味・解説 

大相撲・阿佐ケ谷勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:05 UTC 版)

阿佐谷」の記事における「大相撲・阿佐ケ谷勢」の解説

昭和20年1945年3月10日東京大空襲から昭和25年1950年)まで、大相撲二所ノ関部屋真盛寺間借りしていた縁で、昭和27年1952年)に8代芝田山(元幕内大ノ海)が二所ノ関部屋から独立して杉並区阿佐ヶ谷日本大学相撲部練習所の隣接地芝田山部屋創設した。のちに花籠部屋へ名称変更する昭和30年1955年秋場所大関昇進した一番弟子初代若乃花が、昭和31年1956年夏場所初め阿佐ヶ谷優勝もたらす両国離れて山の手優勝旗運ばれたのは初めてのことで、青梅街道には数十万人祝賀集まったことで都電ストップ若乃花乗せたオープンカーは、新宿西口から阿佐ヶ谷花籠部屋まで3時間かかるほどの大騒ぎとなる現象起こす若乃花昭和33年1958年初場所後に第45横綱昇進、7人の幕内力士花籠七若」を擁して花籠部屋繁栄の礎を築く。後に花籠部屋から分家独立した二子山部屋放駒部屋阿佐ヶ谷部屋置いた1970年代輪島初代貴ノ花、魁傑阿佐ヶ谷トリオ活躍して人気を得る。横綱45代・初代若乃花54代・輪島56代・2代若乃花59代・隆の里62代・大乃国)、大関初代貴ノ花、魁傑若嶋津)をはじめ多く関取輩出した花籠部屋二子山部屋放駒部屋全盛時代阿佐ヶ谷勢と呼ばれ阿佐ヶ谷は「東の両国、西の阿佐ヶ谷と言われ大相撲拠点だった。二子山部屋は、初代若乃花停年後に初代貴ノ花が分家独立していた藤島部屋1993年合流して中野新橋移転輪島花籠部屋吸収した放駒部屋2013年魁傑停年後に大乃国独立した芝田山部屋合流したことで、2013年阿佐ヶ谷から相撲部屋消滅した。この系統二所ノ関一門阿佐ヶ谷系呼ばれており、二子山初代若乃花)と放駒魁傑)は日本相撲協会理事長務めた

※この「大相撲・阿佐ケ谷勢」の解説は、「阿佐谷」の解説の一部です。
「大相撲・阿佐ケ谷勢」を含む「阿佐谷」の記事については、「阿佐谷」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大相撲・阿佐ケ谷勢」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大相撲・阿佐ケ谷勢」の関連用語

1
10% |||||

大相撲・阿佐ケ谷勢のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大相撲・阿佐ケ谷勢のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの阿佐谷 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS