大津絵のコレクション
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「大津絵」および「柳宗悦」も参照 日本民藝館には、「民画」の一種である大津絵が多く収蔵されている。大部分を占めるのは、初代館長の柳が集めた40点ほどと、大津絵の大コレクターであった米浪庄弌の死後に寄贈された100点あまりである。柳自身は、1919年ごろには大津絵に興味を持っていたとみられており、1929年には『初期大津絵』という書籍を出版している。柳の旧蔵品で掛け軸として仕立てられているものの表装のほとんどを柳自身が考案したとみられており、題材や絵の色調に合わせて工夫が施されている。また、軸には陶芸家の富本憲吉やバーナード・リーチ、河井寛次郎らの陶軸を用いたものもある。旧蔵品の一部の軸書には「宗悦清玩」の文字があり、柳が特に愛蔵したとみてとれるものもある。 大津絵のコレクションの中には大原孫三郎の旧蔵品もある。《鬼の行水》(日本民藝館)は、もとは蒐書家として有名だった渡辺霞亭の所蔵品であった。柳はこの作品に1926年に滋賀県大津市で開かれた「大津絵展覧会」で初めて出会い、「絶品」と評した。渡辺の死後、その文庫の売り立てが行われ、この絵も出品される。柳もこの売り立てに参加したが、最終的には300円の値をつけ、日本画家の山村耕花が落札する。その山村の没後の1940年にそのコレクションの売り立てが開催されると、当時大津絵の価格が市場で高騰していたため、柳は大原孫三郎に購入を依頼し、大原が落札してそのコレクションに加えられた。その大原が死去すると、その子の總一郎がこの絵を日本民藝館に届け、ようやく柳の手元に置かれることとなり、現在に至るまで日本民藝館に収蔵されている。
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