大アンティル諸島とバハマ諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 06:14 UTC 版)
「オキーチョビー・ハリケーン」の記事における「大アンティル諸島とバハマ諸島」の解説
ハリケーンはプエルトリコに被害を与えた後で、ドミニカ共和国のすぐ北を通ったが、同国にはほとんど被害を与えなかった。これはハリケーンの中心の南には、核が小さく、風が弱かったためだった。警報が出ており、その地域を通る船舶の数を減らした。 グランドタークはその近くをハリケーンが通ったが、最大風速は120マイル/時 (53 m/s) に留まった。地域にいた船舶の報告では、「風力は...嵐で生じる騒音でのみ判定でき、全速で通り過ぎるニューヨーク市の地下鉄を思い出させる」としていた。ナッソーでは風速120マイル/時 (53 m/s) に近づき、その後風力計が壊れた。この地域では風に加えて豪雨もあり、降水量は9インチ (228 mm) になった。プエルトリコと同様にバハマの当局はハリケーン接近の警報を十分に流しており、死者の数を最小にできた。グランドタークでは2隻の船が波に洗われて破損したが、乗組員は救われた。ベリーズのアンベルグリス・キーからグランドタークに向かっていたスループ船が沈没し、乗船していた18人全員が死亡した。バハマ諸島全体では建物や作物に大きな損傷がでた。 ナッソーでは、1926年ナッソー・ハリケーンで損傷をうけて修復したばかりの建物数棟が破壊された。満水になっていた溝に落ちた10歳の少女が溺れた。フォート・モンテギュー・ホテルでは、窓、ドア、家具が酷く損傷した。ロイヤル・ビクトリア・ホテルでも同様な損傷が起こり、ブリティッシュ・コロニアル・ホテルはほとんど損傷が無かった。しかし、この3ホテルの庭園は「ほとんど原形を留めないほど破壊された」とされていた。 バハマのビミニでは、最大風速140マイル/時 (62 m/s) が観測され、建物に大きな被害が出た。エルーセラ島では、家屋95戸と他の建物、教会や政府の建物数棟が損傷または破壊された。ラムケイでは小さな損傷のみ報告された。農作物の多くが破壊された。サン・サルバドル島では、2つの教会を含め4つの建物が破壊され、他にも小さな損傷を受けた建物があった。農産物は完全になぎ倒された。
※この「大アンティル諸島とバハマ諸島」の解説は、「オキーチョビー・ハリケーン」の解説の一部です。
「大アンティル諸島とバハマ諸島」を含む「オキーチョビー・ハリケーン」の記事については、「オキーチョビー・ハリケーン」の概要を参照ください。
- 大アンティル諸島とバハマ諸島のページへのリンク