多治比国人とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 多治比国人の意味・解説 

多治比国人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 14:33 UTC 版)

 
多治比国人
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従四位下遠江守
主君 聖武天皇孝謙天皇
氏族 多治比氏
テンプレートを表示

多治比 国人(たじひ の くにひと)は、奈良時代貴族歌人官位従四位下遠江守

経歴

天平8年(736年従五位下叙爵し、天平10年(738年民部少輔に任ぜられる。天平18年(746年正五位下天平勝宝元年(749年)正五位上、天平勝宝3年(751年従四位下と、聖武朝末から孝謙朝の初頭にかけての橘諸兄政権下にて順調に昇進し、この間に播磨守大宰少弐右大弁などを務めている。

天平宝字元年(757年橘奈良麻呂の乱が発生した際には遠江守を務めていたが、策謀が露見した後に平城京に召喚されて尋問を受け、結局伊豆国への流罪となった[1]

歌人として『万葉集』に和歌作品4首(長歌1首と短歌3首)が採録されている。

官歴

続日本紀』による。

脚注

  1. ^ 『続日本紀』天平宝字元年7月4日条
  2. ^ 『東大寺要録』6
  3. ^ 『万葉集』巻20-4446

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「多治比国人」の関連用語

多治比国人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



多治比国人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの多治比国人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS