多治比八千足とは? わかりやすく解説

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多治比八千足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 17:50 UTC 版)

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多治比八千足
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上下総守
主君 桓武天皇平城天皇
氏族 多治比真人
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多治比 八千足(たじひ の やちたり)は、平安時代初期の貴族真人官位従五位上下総守

経歴

従五位下叙爵後、延暦16年(797年少納言に任ぜられる。桓武朝末の延暦24年(805年従五位上に叙せられ、延暦25年(806年)少納言に再任する。

平城朝に入り、大同3年(808年)みたび少納言に任ぜられるが、まもなく大蔵大輔に遷り、翌大同4年(809年)には下総守として地方官に転じた。

官歴

日本後紀』による。

参考文献




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