壱岐の風習
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 14:48 UTC 版)
壱岐島には、現地で「イチジョウ」と呼ばれる巫女がおり、ユリという曲げ物に弓をのせて二本の竹で叩きながら、百合若大臣説話を謡う風習がある。この壱岐の「百合若説経」(説経祭文)を記した文献には、後藤正足の所蔵本と、折口信夫による発表論文がある。 折口が採集した祭文によれば、百合若は桃から生まれた桃太郎(あるいはこの幼名を持つ人物)で、のちに軍隊を率いて鬼退治に加わる。 後藤本の説経祭文では、父親が九州豊後国臼杵出身の炭焼き小五郎、こと「万の長者」であったとされる。万の長者は、財産は誇るが子供がなく、「朝日の長者」という格別な金持ちではないが子宝に恵まれた者との勝負(天皇の御前での「宝くらべ」)に敗北。そこで昼夜観音堂(当本では清水観音になっている)へ願掛けし、思いがかなって百合若が生まれる。百合若の大臣は将軍の娘・輝日姫を妻にもらい受け、悪毒王(悪路王〔あくどこお〕)が君臨する鬼の国、芥満〔ケイマン〕国に鬼退治に行く。式部太夫兄弟に裏切られ芥満国の小島に置きざりになるが、その後は正本と同様に帰国を果たして仇を討つ。
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