墓所・史跡
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舞台となった吉備津神社一帯は、1934年(昭和9年)3月13日に一宮(桜山茲俊挙兵伝説地)として国の史跡に指定されている。 桜山城跡 - 吉備津神社の南側丘陵上にある丘城跡。 鳶尾城跡 - 吉備津神社背後の山城で吉備津神社の詰の丸とも言われる。 桜山神社 - 1883年(明治16年)、吉備津神社の境内に、桜山城跡から移され創建された。 吉野神宮 - 摂社船岡神社の祭神として祀られている。
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墓所史跡
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雲峰山昌竜寺 - 宮崎県西臼杵郡日之影町舟ノ尾 藤江監物父子墓所 - 宮崎県西臼杵郡日之影町七折 藤江監物牢跡 - 宮崎県西臼杵郡日之影町七折 藤江監物墓所 - 宮崎県東臼杵郡美郷町西郷区田代 藤江監物墓所 常楽寺 - 宮崎県延岡市野地町4-3840 藤江監物墓所 慧日山本東寺 - 宮崎県延岡市松山町 出北観音堂 - 宮崎県延岡市出北3-31-20 舟の尾地区では毎年旧暦8月28日を祭日とし、また延岡出北地区では旧暦8月17日に墓参を行うという。なお岩熊井堰取水口には岩熊井堰水神社があり、監物、喜多右衛門を記念する碑などがある 岩熊井堰 - 宮崎県延岡市下三輪町 当所、木材を用いて大きな枠をくみたて、その内部に石材を詰めた、いわゆる枠堰と呼ばれるもので、幅21.6メートル、全長216メートルの規模であった。それが、今日見るようなコンクリート構造の恒久的設備の堰に改修されたのは昭和8年(1933年)である。改修後成った後の岩熊井堰水系は、米作最盛期において、数千百ヘクタールの田地をうるおすにいたる。築造当時のおよそ131ヘクタールにくらべれば、格段の広がりをみせているが、これは築造後、漸次設けられた、出北用水路を幹線とする五ヶ瀬川右岸の各支線および左岸幹線の吉野用水路と、その支線水路の開通によるものである。
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