墓所・木像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 05:18 UTC 版)
墓所は安国寺慶雲院にあったとされるが、焼失したため現存せず、遺骨等も所在不明となった。 木像は等持院に現存している。木像は束帯姿であるが、義勝は参内経験もなく死去したため、束帯を着用する唯一の機会であったと思われる朝鮮通信使との対面が参考にされたという見方もある。 建仁寺の塔頭・霊源院には、義勝が描いたという「達磨図」が現存している。図上にある江西龍派の賛によると、義勝10歳の時、家臣の千秋持季に描き与えたものだが、程なく義勝は夭折、持季はこの絵を見るたびに追慕の情に堪えきれず、江西に着賛を求めたという。
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