墓所・神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 08:10 UTC 版)
墓所は深沢小学校裏のやぐら五輪塔、梶原景時館址の墓石群、梶原山の墓石群がある。「深沢小学校裏のやぐら」内にある四基の五輪塔は、景時一族の墓と伝えられ、景時と景季・景高らの五輪塔が4基並んでいる。梶原氏一族郎党(七士)の墓として伝えられる「梶原景時館址の墓石群」は一族郎党を一宮館で留守をしていた家族、家臣が弔ったものと伝えられている。景時父子の終焉の地、梶原山の墓石群、宝篋印塔は景時、景季、景高の墓で一番右は不明であり、五輪塔は供養塔である。 景季が御祭神として祀られる梶原神社が宮城県気仙沼市唐桑町にあり、江戸時代の仙台藩編纂地誌『奥羽観蹟聞老志』『封内風土記』『封内名跡志』『風土記御用書出』において景時の兄とされる景実(専光房良暹)が梶原一族の没落後、鎌倉を離れ藤原高衡(本吉四郎高衡)ゆかりの地である石浜(唐桑町)にたどり着き、源頼朝、梶原景時、梶原景季の御影を安置し、一族の冥福を祈って建立したとされる。専光房良暹はその後、早馬神社を創建したとされ、以来連綿と梶原氏直系子孫が宮司を務めている。
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