垂仁天皇3年条とは? わかりやすく解説

垂仁天皇3年条

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:01 UTC 版)

アメノヒボコ」の記事における「垂仁天皇3年条」の解説

『日本書紀』では、垂仁天皇3年3月条において新羅王子の天日槍渡来したと記す。その際次の7物、 羽太の玉(はふとのたま) 1箇 足高の玉(あしたかのたま) 1箇 鹿鹿の赤石の玉(うかかのあかしのたま) 1箇 出石小刀(いづしのかたな) 1口 出石(いづしのほこ) 1 日鏡(ひのかがみ) 1面 熊の神籬(くまのひもろき) 1具 を持ってきて、これらを但馬国納め永く神宝としたという。 垂仁天皇3年条一云の系図 太耳 知古 天日槍 麻多烏 但馬諸助 但馬 清彦 田道間守 同条に記され別伝によると、天日槍初め播磨国停泊して宍粟邑にいた。これに対し天皇大友主三輪氏祖)と長尾市(倭氏祖)とを播磨派遣して天日槍尋問をさせた。この時、天日槍新羅王子であると自称し日本に聖皇がいると聞いたので新羅を弟の知古(ちこ)に任せて自分日本への帰属願ってやって来た、と語った。そして次の8物、 葉細の珠(はほそのたま) 足高の珠 鹿鹿の赤石の珠 出石刀子 出石 日鏡 熊の神籬 胆狭浅の大刀(いささのたち) を献上した。そこで天皇播磨国宍粟邑と淡路島出浅邑の2邑に天日槍居住許したが、天日槍諸国遍歴適地探すことを願ったので、これを許した。そこで天日槍は、菟道河(宇治川)を遡って近江国吾名邑にしばらくいたのち、近江から若狭国経て但馬国至って居住した近江国鏡村の谷の陶人(すえびと)が天日槍従者となったのは、これに由来するという。また天日槍但馬国出島出石に同じ)の太耳の娘の麻多烏(またお)を娶り、麻多烏との間の子但馬諸助(もろすく)を儲けた。そしてこの諸助は但馬(ひならき)を儲け、日は清彦(きよひこ)を、清彦は田道間守儲けたという。

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