坂本龍馬に託した書状とは? わかりやすく解説

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坂本龍馬に託した書状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 03:01 UTC 版)

久坂玄瑞」の記事における「坂本龍馬に託した書状」の解説

平成22年2010年4月12日NHK大河ドラマ龍馬伝』の放送坂本龍馬はじめ維新志士らへの関心高まっている中、土佐山家宝物資料館が、久坂玄瑞文久2年1862年)、訪れた龍馬託した武市半平太宛て書状を、報道陣公開した。 その書状内容おおよそ以下の通り。玄瑞の「諸侯たのむに足らず公卿たのむに足らず草莽志士糾合義挙のほかにはとても策これ無き事」「尊藩(土佐藩)も弊藩(長州藩)も滅亡して大義なれば苦しからず」という考えが、龍馬脱藩影響したと言われている(坂本龍馬2月末に土佐戻り3月24日脱藩した)。 「草莽志士糾合義挙のほかにはとても策これ無き」とは吉田松陰唱えた草莽崛起論」が基になっているその後はいかがなせられます候や、こないだ山本大石ご来訪下せられ、何ら風景もこれ無くお気の毒千萬存じ奉り候。最早ご帰国ならんと御察しつかまつり候。この度坂本君お出むきあらせられ、腹蔵無く談合つかまつり候頃、くわしくはお聞取り願い奉り候。結局諸侯たのむに足らず公卿たのむに足らず草莽志士糾合義挙のほかにはとても策これ無き事と、私ども同志うち申し合いおり候事に御座候失敬ながら、尊藩(土佐藩)も弊藩(長州藩)も滅亡して大義なれば苦しからず。両藩共存し候とも、恐れ多くも皇統綿々萬乗の君のご叡慮貫き申さずしては、神州衣食する甲斐はこれ無きかと、友人申し居り候事に御座候。ついては坂本君に御申談つかまつり候事ども、あつく御熟考下さるべく候。もっとも沈察を尊ぶは申すまでもこれ無く候。樺山三円よりは此内書状来る、彼藩も大に振い申し候よし。友人一両のうちにつかわすつもりに御座候様子次第、尊藩へも差出し申すべくと存じ申し候。何も坂本様より御承知ならんと草々乱筆推読、これ祈り敬白

※この「坂本龍馬に託した書状」の解説は、「久坂玄瑞」の解説の一部です。
「坂本龍馬に託した書状」を含む「久坂玄瑞」の記事については、「久坂玄瑞」の概要を参照ください。

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