坂本龍馬の佩刀となるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 06:17 UTC 版)
「陸奥守吉行 (坂本龍馬佩刀)」の記事における「坂本龍馬の佩刀となるまで」の解説
江戸時代の刀工・陸奥守吉行により作られた刀である。吉行は元禄年間に土佐藩へ招聘され鍛冶奉行を務めた刀工だが、本作がどのような経緯で坂本家へ伝えられたかは不明。 龍馬は1866年(慶応2年)年12月の兄・権平宛ての手紙にて「武士が国難に臨む時には、必ず先祖伝来の宝刀などを分け与えるものだ」とした上で、「坂本家の家宝の品を分け与えください」と所望した。その坂本家の家宝こそが先祖伝来の本作だったようであり、権平は薩摩藩の西郷隆盛が土佐を訪れた際に、龍馬に渡してもらうよう本作を託した。龍馬がいつどこで西郷から受け取ったかは定かでないが、高知県立坂本龍馬記念館学芸員の三浦夏樹によれば、龍馬が主に活躍していた長崎で受け取ったものと推測されている。 なお、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』や小山ゆうの『お〜い!竜馬』では、脱藩しようとする動きを察した権平により刀を取り上げられた龍馬に対して、次姉であるお栄(もしくは三姉・乙女)が家宝である本作を差し出したという記述があるが、歴史学者の本郷和人によれば、お栄は嫁ぎ先である柴田家にて龍馬脱藩の16年前には亡くなっており、実際に脱藩時に乙女が手渡した刀も実際には肥前忠広作の刀であるとされている。
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