地方自治改正法案と更迭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 06:59 UTC 版)
「湯沢三千男」の記事における「地方自治改正法案と更迭」の解説
1942年の暮れに召集された第81帝国議会で湯沢は、東京都制法案と市制町村制改正案を提出した。東京都長官・市町村長を全て官選あるいは準官選にするという提案に、東條は議会や世論の政府批判につながることを憂慮して星野直樹内閣書記官長・森山鋭一法制局長官・鈴木貞一企画院総裁・谷正之情報局総裁とともに提案延期を説得し、翼賛政治会からも差し止め要請が出されたものの、湯沢は戦時下の今こそ内務省に人事権を取り戻す好機と踏んで提出したのである。ところが議会はこれを内務省の強権として激しく反発し、更に翼賛選挙の非推薦議員からは「翼賛選挙の違憲性」の問題が提示された。東條らの政治工作で両法案は一部修正を経て通過されたものの、湯沢は「挙国一致」性を疑われかねない政府と議会の対立を引き起こしたことで、東條からの信頼を失い、昭和18年(1943年)4月20日に更迭されることとなった。直後の同月30日に貴族院勅選議員に任じられて終戦を迎え、1946年(昭和21年)2月22日まで在任した。
※この「地方自治改正法案と更迭」の解説は、「湯沢三千男」の解説の一部です。
「地方自治改正法案と更迭」を含む「湯沢三千男」の記事については、「湯沢三千男」の概要を参照ください。
- 地方自治改正法案と更迭のページへのリンク