地形図での山名表記の経緯とは? わかりやすく解説

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地形図での山名表記の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 18:05 UTC 版)

百々ヶ峰」の記事における「地形図での山名表記の経緯」の解説

地形図」に最初に山名記された、1923年大正12年発行陸地測量部編纂「二五千分一地形図岐阜』」において、本来の位置より約1,100m西にある標高341.0m(当時)の、それこそなんでもない三角点”に誤って百々ヶ峯(百々ヶ峰)」の名が記され東西南北のどこからも仰ぎ見られた417.9mの岐阜市最高峰は「無名」にされてしまった。翌1924年大正13年)に「五万分一地形図岐阜』」が発行されたが、百々ヶ峰位置誤り追認され、第二次世界大戦後国土地理院発行地形図になって正されないままであったため、登山者たちは無名になっていた岐阜市最高峰を「東峰」、地形図で「百々ヶ峰」とされた三角点を「西峰」と呼んで区別をしていた。百々ヶ峰位置誤りあまりに長かったために、角川書店の『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』や平凡社の『日本歴史地名大系 岐阜県地名』などの「地名辞典」でも最高峰無視し西峰を「百々ヶ峰」としていた。 しかし2003年平成15年)に岐阜市民から「岐阜市最高峰こそ百々ヶ峰」との声が上がり江戸時代古地図や『新撰美濃志』『濃陽志略』などの古文書中に書かれた“江戸期百々ヶ峰”が幾つも市に寄せられる及んで2007年平成19年3月岐阜市もやっと国土地理院に「地名等訂正申請」を行い同年3月30日標高417.9mの岐阜市最高峰に「百々ヶ峰」の名が戻った陸地測量部によって名前が剥奪されてから84年ぶりのことであった。それと同時にそれまで地形図の「百々」には「とど」と振り仮名打たれていたが、これも「どど」に訂正され同年4月7日国土地理院からインターネット上配信されている『電子国土基幹情報』(現・『地理院地図』)の地形図において公示され次回の「紙地形図」の発行正し位置図版出されることとなった。 この山は岐阜市流れ長良川の北に位置し岐阜県山岳連盟(編)『続ぎふ百山』(岐阜新聞社発行1987年7月)や、『山と渓谷2000年平成12年2月号で紹介されている。もちろん地形図では無名にされていた時代であるが、417.9mの無名にされていた最高峰を「百々ヶ峰」として記述していた。なお、地元ではマイクロ波反射板無給電中継装置)が設置されている山(「西峰」の南西約180m)を「真福寺山」と呼んでいるが、岐阜市命名決断できなかったため、現在も通称のままである

※この「地形図での山名表記の経緯」の解説は、「百々ヶ峰」の解説の一部です。
「地形図での山名表記の経緯」を含む「百々ヶ峰」の記事については、「百々ヶ峰」の概要を参照ください。

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