国際的認知へ:1980年代
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「オレゴン・ワイン生産の歴史」の記事における「国際的認知へ:1980年代」の解説
オレゴン州のワイン生産家は1980年代に入っても賞を獲り続けた。1980年、オレゴンには34のワイナリーと115のブドウ園(総面積4.5 km2)があった。1980年ヴィンテージはセント・ヘレンズ山の噴火により多大な影響を受け、1982年にロンドンで開催された国際ワインコンペティションでは2つの1980年産ワインが金賞を受賞した。1981年、ビーバートンのポンジー・ヴィンヤーズがニューヨーク・タイムズから好意的な評価を受けた。1984年、世界的権威を持つワイン評論家のロバート・パーカーがオレゴンを訪れ、同地のピノに大きな感銘を受けた。オレゴンのピノは1985年のブルゴーニュ・チャレンジで、ワインの専門家が「利き酒」でオレゴンとブルゴーニュのピノ・ノワールの違いを判別することができず、オレゴン・ワインがブルゴーニュ・ワインより上位にランクするなど、さらなる賞賛を得た。1985年には、ワイン・スペクテーター誌でオレゴンのワイン産業が最初に言及された。 また、1980年代はオレゴン・ワインの売り込みに力を入れ続けた期間でもあった。1983年にオレゴン・ワイン審議会が発足。また1984年には、ウィラメット・ヴァレーAVAとアムクワ・ヴァレーAVAが設立された。1986年には、国際ピノ・ノワール祭がマクミンヴィルのリンフィールド大学で始まった。1989年、ウィラメット・ヴァレー・ヴィンヤーズがオレゴン州では初めてとなる上場ワイナリーになった。 オレゴンとブルゴーニュの間に大きな絆ができたのも1980年代であった。オレゴン州立大学の園芸学者達と全国ワイン同業者連合会(ONIVINS)のレイモン・ベルナールなどフランスの著名なワイン栽培専門家との間に密接な関係が築き上げられた。この関係により、カリフォルニアの栽培家が手に入れることのできないクローンを、オレゴンの生産家が獲得できることになった。1987年、ブルゴーニュの名門であるドルーアン家が、0.40 km2(100エーカー)の土地を北ウィラメット渓谷に購入し、ドメーヌ・ドルーアン・オレゴンと呼ばれるワイナリーを設立した。1988年、当時の州知事ネイル・ゴールドシュミットがブルゴーニュへの公式訪問を果たした。
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