国道「桜通り」
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「桜通り (宇都宮市)」の記事における「国道「桜通り」」の解説
1885年(明治18年)1月6日、太政大臣三条実美は太政官布達第1号において「今般國道ノ等級ヲ廢シ其幅員ハ道敷四間以上並木敷濕抜敷ヲ合セテ三間以上總テ七間ヨリ狹少ナラサムモノトス但國道路線ハ内務卿ヨリ告示スヘシ右布達候事」と通達し、いわゆる「明治国道」が制定されることとなった。これを受け、同年2月24日には内務卿の山縣有朋が内務省告示第6号において「本年1月太政官第1号ヲ以テ國道之儀布達相成候ニ付該線路別表之通相定候條此旨告示候事」とし、制定された国道表を通達、これをもっていわゆる明治国道が成立した。この時成立した国道のうち、宇都宮市内を走っていたのは陸羽街道を踏襲する国道6号のみであったが、宇都宮に第14師団が常駐した後の1911年(明治44年)3月4日、内務大臣平田東助は内務省告示第14号にて市内2本目の国道となる材木町から第14師団(河内郡国本村)までの区間を国道60号とした。明治国道60号はその後1920年(大正9年)4月1日に国道29号に番号変更されている。 「桜通り」の北部区間は現在国道119号の一部として管理されているが、従前の明治国道60号/旧国道29号の一部であったかを明確に記す資料は知られていない。一方、口承によると、明治国道6号が五街道の一である陸羽街道を踏襲した経路であったのと同様、明治国道60号は旧日光街道(現・清住町通り)を踏襲したものであった。当時の国道は幅員7間(約13m弱)以上とされており清住町通りは幅員が足りなかったが、材木町と伝馬町区間のクランク構造を改造し、材木町から松原町まで直線的に結ぶ道路に付け替え、全路線を拡幅する計画を前提として、国道指定された。よって「桜通り」は、伝馬町交差点から第14師団司令部があった国本村戸祭(現・国立栃木病院)に至る「明治国道60号/旧国道29号」の一部として、松原3丁目交差点から国立栃木病院前までの区間が明治年間より国道管理されていたことになる。
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