国道「桜通り」とは? わかりやすく解説

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国道「桜通り」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 02:23 UTC 版)

桜通り (宇都宮市)」の記事における「国道「桜通り」」の解説

1885年明治18年1月6日太政大臣三条実美太政官布達第1号において「今般國道等級ヲ廢シ其幅員道敷四間以上並木敷濕抜敷ヲ合セテ三間上總七間ヨリ狹少ナラサムモノトス但國道路線内務卿ヨリ告示スヘシ右布達候事」と通達しいわゆる明治国道」が制定されることとなった。これを受け、同年2月24日には内務卿山縣有朋内務省告示第6号において「本年1月太政官第1号ヲ以テ國道之儀布達相成候ニ付該線路別表之通相定候條此旨告示候事」とし、制定され国道表を通達これをもっていわゆる明治国道成立した。この時成立した国道のうち、宇都宮市内を走っていたのは陸羽街道踏襲する国道6号のみであったが、宇都宮第14師団常駐した後の1911年明治44年3月4日内務大臣平田東助内務省告示第14号にて市内2本目国道となる材木町から第14師団河内郡国本村)までの区間国道60号とした。明治国道60号はその後1920年大正9年4月1日国道29号番号変更されている。 「桜通り」の北部区間は現在国119号一部として管理されているが、従前明治国道60号/旧国道29号の一部であったかを明確に記す資料知られていない一方口承によると、明治国道6号五街道の一である陸羽街道踏襲した経路であったのと同様、明治国道60号は旧日光街道(現・清住町通り)を踏襲したものであった当時国道幅員7間(約13m弱)以上とされており清住町通り幅員足りなかったが、材木町伝馬町区間クランク構造改造し材木町から松原町まで直線的に結ぶ道路に付け替え、全路線拡幅する計画前提として、国道指定された。よって「桜通り」は、伝馬町交差点から第14師団司令部があった国本村戸祭現・国栃木病院)に至る「明治国道60号/旧国道29号」の一部として、松原3丁目交差点から国立栃木病院前までの区間明治年間より国道管理されていたことになる。

※この「国道「桜通り」」の解説は、「桜通り (宇都宮市)」の解説の一部です。
「国道「桜通り」」を含む「桜通り (宇都宮市)」の記事については、「桜通り (宇都宮市)」の概要を参照ください。

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