国道の分断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:33 UTC 版)
国道408号は元来、成田市からつくば市までであったが、1993年に宇都宮市近郊の高根沢町まで延伸された。その際、栃木県道真岡高根沢線(18 km)は国道に昇格したものの、つくば市から下館市(現・筑西市)を結ぶ茨城県道下館筑波線(現・茨城県道14号筑西つくば線)」(25 km)は国道に昇格せず、そのため地図上では国道408号はつくば市から下館市の間は分断された形となった。 1994年3月、朝日新聞は当時の建設大臣中村喜四郎の反対により、下館筑波線は国道に昇格しなかったとの建設省関係者の証言を報じた。 当時の下館筑波線と真岡高根沢線の沿道にある7自治体および2県は、1987年より国道昇格に向けた期成同盟を立ち上げ、県も強く建設省に陳情した。しかし1990年に、自民党道路調査会の会長代理に中村喜四郎が就任して以降、雰囲気が変化した。1992年3月の国道昇格の道路審議会が開催された当時、衆議院の旧茨城3区には中村以外に2人の自民党議員がいたが、下館筑波線の沿道にあった下館市と明野町(いずれも現・筑西市)のいずれの市長・町長も中村派ではなかった。 自民党道路審議会後の10月に行われた下館市長の選挙では中村派が当選したものの、明野町は中村の地盤ではなく、1993年7月の総選挙では、この2人が合わせて9千票以上を得票したのに対し、中村は219票しか得票できなかった。建設省道路局の関係者は、下館筑波線は常識的には当然、国道に昇格すべき道路であったが、中村の反対により見送らざるを得なかったと証言。地元では沿線の首長が自派でないために「国道昇格を阻止されたと受け止めている」という。
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