北部区間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 21:13 UTC 版)
ミッドランド鉄道はダービーからマンチェスターへの独自路線を計画していたが、バックストン線(英語版)の建設者でありウェスト・コースト本線へのアクセスの独占を狙っていたストックポート・ディズレー・アンド・ウェイリー鉄道(英語版)の反対により、1863年に頓挫している。 1870年にはチェスターフィールドとロザラムの間をシェフィールド(英語版・街)経由で結ぶ新線「ニュー・ロード」(旧線はこれに対し「オールド・ロード」と呼ばれた)が開業し、1870年代半ばにはヨークシャー・デール(英語版)やエデン川(英語版)の渓谷を通ってカーライル(英語版・街)までの延伸が行われた。なお、後者は現在ミッドランド本線の一部としては扱われず、セトル - カーライル線(英語版)と呼ばれている。 マンチェスターへはマンチェスター・バクストン・マトロック・アンド・ミッドランド・ジャンクション鉄道(英語版)などを通して列車を運行したが、この経路は1960年代に一部区間が廃止されるまで、ウェスト・コースト本線と並ぶロンドン - マンチェスター間の主要路線であり続け、ザ・パラタイン(英語版)やミッドランド・プルマン(英語版)(「ブルー・プルマン」編成を使用)などがこの経路で運行された。 また、カーライルへの経路はスコットランドへの列車によって使用されていたが、地形の関係上イースト・コースト及びウェスト・コースト両本線には速達性で劣っていた。このうちテムズ - クライド・エクスプレス(英語版)などはダービーなどを短絡する炭鉱路線のエレウォッシュ・ヴァレー線(英語版)を使っていたのに対し、ザ・ウェイヴァリー(英語版)をはじめとしたエディンバラ・ウェイヴァリー駅行きの列車は支線上にあるコービー(英語版・街)やノッティンガムにも停車した。
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