国政選挙での連敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:55 UTC 版)
1996年の衆議院総選挙・1998年の参議院選挙といずれも全員落選し、国会での議席を失った。また、いずれの選挙でも得票率が2%に満たず、政党要件を喪失。これまで受けていた政党交付金も支給されなくなった。なお、主な資金源は交付金であったが、この制度については特に憲法上問題とはしていなかった。交付金打ち切り後は党費・個人献金・団体献金・機関紙購読料などが主な資金源である。 2000年の衆議院総選挙・2001年の参議院選挙でも議席回復に失敗。また、反基地闘争で共闘関係にある沖縄社会大衆党の新垣重雄を東京都選挙区で推薦したが、当選には至らなかった。2003年の衆議院総選挙では、初めて社民党と本格的な選挙協力を行い、無所属で候補を擁立したが及ばなかった。2004年の参議院選挙でも公認候補を立てず、原和美らを無所属で擁立した。しかし、他党候補の推薦を除き、当選者は得られなかった。原は2005年の衆議院総選挙、2009年の衆議院総選挙でも兵庫1区より無所属で立候補したが、落選した。
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