国政転出後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 13:47 UTC 版)
1972年(昭和47年)、知事5期目の途中で田中角栄、三木武夫の説得に応じて自民党三木派から第33回衆議院議員総選挙に旧三重1区で立候補して当選する。公害対策並びに環境保全特別委員会・社会労働委員会・法務委員会などで活動をして、1973年(昭和48年)には公害健康被害補償法を実現した。しかし1976年(昭和51年)の選挙では、三木おろしのあおりを受けて落選する。翌1977年(昭和52年)には参議院選挙に三重地方区から新自由クラブ公認で立候補するが落選する。1980年(昭和55年)の総選挙にも出馬したが落選した。
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