国政進出の模索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:28 UTC 版)
1977年に沖縄社会大衆党から衆議院への出馬要請があったが固辞した。1978年、参議院へ沖縄の革新政党の統一候補として沖縄社会大衆党から再度出馬要請があり、遅々として進まない中城湾の港湾設備の整備計画の実現のため、一度は要請を受け入れた。しかし、他の革新政党から「大山は保守的体質がある」との理由で革新統一候補に相応しくないと批判され、また革新派の沖縄県知事であった屋良朝苗からの同意が得られなかったため、立候補を見送ることになった。失望した大山は沖縄社会大衆党を離党した。その後、沖縄県社会民主連合を旗揚げし、代表の座についた。
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