国共内戦期、台湾時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/17 23:06 UTC 版)
戦争終結後の同年12月、ソ連との間での東北三省における財政問題につき、兪鴻鈞が全権代表を務めた。翌年3月、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)の理事を務めている。同年6月、国民政府最高経済委員会委員となった。1948年(民国37年)5月、財政部長を辞任し、中央銀行総裁専任となる。まもなく幣制改革として金円券発行などに取り組んだが、結局は失敗に終わった。同年8月には、経済管制委員会上海区督導員も務めている。翌年1月、総裁から罷免され、中央銀行理事会常務理事に転じた。 国共内戦末期に兪鴻鈞は台湾へ逃れた。1950年(民国39年)8月、国民党中央改造委員会財務委員会主任委員に任ぜられる。1952年(民国41年)10月、国民党第7期中央委員に選出され、中央財務委員会主任委員となった。1953年(民国42年)4月、台湾省政府主席に任命され、さらに経済安定委員会を主管した。翌1954年(民国43年)6月、行政院長(首相)に昇進している。1957年(民国46年)10月、国民党第8期中央常務委員に選出された。1958年(民国47年)7月に行政院長を退いた後も、中央銀行総裁や交通銀行・農民銀行の董事長を兼任し、引き続き金融政策に従事した。 1960年(民国49年)6月1日、台北市にて病没。享年63。
※この「国共内戦期、台湾時代」の解説は、「兪鴻鈞」の解説の一部です。
「国共内戦期、台湾時代」を含む「兪鴻鈞」の記事については、「兪鴻鈞」の概要を参照ください。
- 国共内戦期、台湾時代のページへのリンク